Burn not your house to fright the mouse away.
ネズミを追い出すためにあなたの家を燃やすな。
Burn not your house to fright the mouse away.
ネズミを追い出すためにあなたの家を燃やすな。
「英語のことわざ1000の素読」を発刊したのは令和2年10月であった。Ver.2を発刊するにあたりあらためてその抱負を述べたい。
この本を編集した時に、英語のことわざを1000則覚えたらネイティブを越える英語力を身につけることができる、とぶち上げたが、これは本当だったであろうか。
「本当である」とますます確信するに至った。
すると皆様は私にこうお尋ねになるだろう。「それでは橋本よ。お前さんはネイティブと日本人と話をする様に屈託なく何の抵抗もなく淀みなくお話ができるのか? 」とか
「洋画を字幕なしで見られるか?」とか
「発音は大丈夫か? TH とか R と L をきちんと発音できるのか」と。
私は答えるだろう「出来ない」と。
私はいつも思うのである。
「何に一体囚われているのだ」と。
そのようなものは英語力の極々表面的なものである。そのようなことに囚われる必要はないと思うのだ。
人と屈託なく淀みなく色々とお話しするには、英語力云々よりもその人と自分とに共通の話題、関心事があるのか、ということが最も大事であろう。英語力など二の次である。
洋画を字幕なしで・・ 正直に言うと私は英語より日本語の方が出来るので字幕などを見て日本語の助けを借りた方がその映画を楽しむことが出来るのだ。だから字幕を付けて欲しいのである。アメリカ在住中に映画館で映画見たことがある。もちろん字幕などない。初めは大変な抵抗があったがすぐに慣れて楽しむことができた。
発音はどうか。私は人間は基本的に一人一言語だと思っている。THやRの発音はとても難しい。出来る、とは言えが嘘になるだろう。ただし、このようなこと。すぐに出来る様になる人がいる。才能のある無しで大きく左右されるのではないだろうか。だけどこのような才能。あってもなくても、どうでも良いものではないかな。いや、才能とは神から与えられたもの。大事にすべきだろう。
いかがであろうか。「ネイティブより英語が出来るか」ということは、言葉を代えて言えば「自分の英語力を自分の日本語力より高めたい」と考えているだけではないかな。これはとんでもない課題である。それこそ不可能であろう。
それでは改めて考えてみよう。本書で言う「ネイティブを超える英語力」とは何か、ということを。
英語力とは言葉の操作能力である。
言葉とはダイレクトにその人の教養を表すものである。その人の言うことを聞いているとその人の能力が分かるものであろう。
それを英語で涵養してみよう、と言うことが本書の狙いである。
英語のことわざ1000というのは膨大な量である。
ここに人間の叡智の大部分が籠められている。
これを繰り返し読み理解と暗記に努める。
暗記する過程で理解も深まる。
自分なりに英語のことわざを勉強して来たが、意味のよく分からないことわざもあった。
しかし暗記しようと思い何度も読んで口にしているとある時突然意味が分かることもあった。「人生の閃き Enlightment」だな、と思っている。
https://yakugai.hatenablog.jp/entry/2024/09/12/220956?fbclid=IwY2xjawFeCsdleHRuA2FlbQIxMAABHQ7J0r7fnOBxORfUkT6EMRAodRiOaFkqmfVtvoQkM6...